こんにちは!今回は前回に続き

「結婚愛と家庭愛の違い 3」です。いよいよ最終回です。

では宜しくお願いしますね。

 【アコヤ貝のたとえ】

アコヤ貝は外から砂や小石などの異物が入ってくると
苦しみます。

 しかしやがて

その異物をみずからの粘液によってくるみ、固め
見事な真珠にしていきます。

 

真珠は外からは何のかけるところも
ないように見えます。

それが真珠の特徴です。

 しかし

 その、見事な真珠ができるには

「砂や小石が入ってアコヤ貝が苦しんだ。」
という事実があるのです。

 夫婦とはアコヤ貝のようなものかもしれません。

 アコヤ貝は二枚の貝殻からできています。

 

 夫婦は二枚の貝殻で一つの貝をつくっており

 そのなかで真珠のように、見事なものをつくりだそうとしているのではないでしょうか?

 それでは、持続によって生み出される美徳は何でしょうか?

なぜ持続をしていくことに、価値、値打ちがあるのでしょうか?

 それは真珠のたとえを例に取って考えるとよく分かるでしょう。

 入ってきた異物を単に吐き出すことをもって

よしとするならば、

あるいは

  砂や小石が互いに離反して、口を開いたならば決して真珠はできません。

 異物は、異物なるものはよりすばらしいのもを、はぐくんでいくために

利用していかなくてはならないのです。

 

 家庭愛においてはこの努力が、試されているといえます。

結びついたものが、すぐに離反していくだけならば
それは愛に力とはいえないでしょう。

 愛の力の中には「結びついたものが、お互いに力を強くし合いながら決して手を離さない」

というところがあるのです。

 うーん、どうでしたでしょうか?結婚って深いですよね?

やはり単なるパートナーではなくて、高めあう間柄なんだと思います。

 「結婚したら、幸せになれる」と思いこむ人もいますが

そんな自動的になれるものでは、ないですよね;^^

運命の人、赤い糸の人であっても、愛し合う努力が必要で、その過程で絆が

深まります。

 「そういう考えもあるんだ」「妻は、夫は、こうしてほしいんだ」

  問題がないから、幸せではなくて、問題を乗り越えるたびに、二人の距離が縮まっていく

その景色をみてほしいと思います。